超新星爆発と藤原定家 その1
2015年1月12日
おうし座の右の角の先には、かに星雲と呼ばれる超新星爆発の残骸が埋もれている
百人一首を編纂した鎌倉時代の歌人といえば藤原定家。この定家が書き綴った「明月記」には、数多くの天文現象の記録が残されている。
中でもおうし座の右の角の先に埋もれている、超新星爆発の残骸「かに星雲」を作る元となった超新星爆発の記録が見つかったことは、世界的に有名な話だ。
かに星雲の名は、発見者のロス三世が名付けたが、佐渡島、太めの芋虫といった感じ
「かに星雲」というニックネームを付けたのは、アイルランドのビアという街の領主、ロス三世だ。彼が、当時世界最大だった口径180cmの反射望遠鏡で、M1のスケッチをとったところ、その姿がカニに似ていたところから“カニ星雲”の名が付いたという。
しかし、小口径望遠鏡で見るM1の姿は、カニというより、佐渡島、太り気味の芋虫、ダニ、と言った方がピンとくるだろう。
カニ星雲は、質量の大きい星が、進化の果てに破局的な最期を遂げた超新星爆発の残骸。爆発したのは、1000年ほど前と推定されていた。
藤原定家
この爆発が起こった時に見えた超新星のことだと思われる記述が、鎌倉時代の歌人藤原定家が書いた“明月記”の中に見つかった。
藤原定家は、1162年に生まれ、19歳のころから「明月記」の記述が始まったが、寛喜2年(1230年)ごろは、数年前から洪水や飢饉、異常気象と悪いことばかり続いていた。
そんな時に夜空に突然明るい星、客星(当時は新星のことを客星といった)が現れたことを知り、この不吉な出来事は、あの客星のせいではないかと考え、客星の出現と吉凶の関係を、時の陰陽師安部泰俊(安部清明の6代目の孫)に過去の客星出現例を調べさせたとある。
我々はその超新星爆発の残骸を見ているということだ。