ピッチクロックで再注目!松本幸行の投げる試合は本当に短かったのかを検証してみた
2023年7月18日
日本球界のピッチクロック導入が現実味を帯びてきた。7月10日に開催されたプロ野球オーナー会議で、導入の可否を含めて検討を始めることが正式に決まったという。今季から取り入れたMLBは昨季の1試合平均3時間3分に対し、今季は6月時点で2時間37分と大幅な短縮に成功。WBCでも次回大会は導入が確実視されており、賛否はあれど国際的な潮流としてプロ野球も追随することになりそうだ。
伝説の「ちぎっては投げ」松本幸行
投手はランナーなしで15秒、ランナーありで20秒以内に投球動作に入らなければペナルティが課されるという同ルール。この話になると、古参の野球ファンが決まって名前をあげる投手がいる。
松本幸行ーー1974年にはキャリア最多の20勝をマークするなど、星野仙一との両輪で当時の中日ブルペンを支えた名投手であるが、松本を語る際に枕詞のようについて回るのが「ちぎっては投げ」というフレーズだ。
投球間隔が異常に短く、松本が投げる日はとにかく試合が終わるのが早かったと伝えられている。ただ、具体的にどれくらい早かったのかを証明するデータにはお目にかかったことがない。これでは伝説だけが実体を伴わずに一人歩きしているようなものだ。
ならば調べるしかない。松本がドラゴンズで先発投手として主に活躍した1972〜76年の公式戦を対象に、全試合の試合時間を記録していけばおのずと真相が明らかになるはずだ。果たして松本幸行は伝説どおりの投手だったのか? 調査結果は次のとおりだ。
はっきり言って想像以上だった。データを記録し終えたあと、半信半疑で「試合時間」を昇順ソートにかけた瞬間の気持ちよさと言ったら、まことに痛快そのものであった。
5年間647試合の上位6位までを独占となると、さすがに偶然とは考えにくい。本当に松本幸行は投球間隔が異常なほど短かったのだ。
昔から聞かされてきたセピア色の “伝説” が生き生きと色づき始めた。地味で手間もかかるが、これがあるから歴史探究はやめられないのだ。
同じ時代を戦った時短投手たち
さて、詳細を見ていこう。最短試合は1973年5月21日の大洋戦。県営富山球場の一戦はなんと82分で決着がついた。言うまでもなく、中日戦では70年以降の最短記録である。
ただしこの試合は松本のテンポよりも、大洋先発の小山正明の投球術に軍配が上がった。わずか1安打、94球での完封勝利は大投手・小山にとって10年ぶりのセ・リーグでの白星。代名詞のパームボールを軸にした老獪な投球術には中心打者の高木守道も「あれはうちの若手には打てないよ」と白旗をあげるしかなかった。
その約2週間後、95分で終わった6月2日阪神戦は松本が完封勝利を収めたが、注目すべきは対戦投手の谷村智博で、なんと短時間ゲームのトップ10に4つもランクインしている。
「タコ踊り」と称される奇抜な投球フォームで鳴らした右腕だが、この5年間、中日戦で投げた19登板のうち9度が松本とのマッチアップという巡り合わせも手伝ったのかもしれない。
ただし松本以外の投手との対戦でも時短傾向が出ているので、おそらく谷村も松本に負けず劣らずの「ちぎっては投げ」の使い手だったと推測される。
時短でいえば当時から松本と並び称されてきた大洋の坂井勝二もウワサに違わぬ結果が出ている。
坂井の登板日の平均試合時間は全投手中最短の126.74分で、期間中に64度あった1時間台ゲームのうち実に10試合(うち4試合が松本との対戦)を坂井が叩き出している。坂井は歴代3位の通算与死球143個、与四球も歴代50傑に入る荒れ球投手であるが、ランナーを出しても意に介さない強気の姿が想像できる。
中日のチーム内でも松本の時短投球は飛び抜けていた。集計した5年間で2時間未満のゲームは64試合あったが、そのうち松本が44%にあたる28試合を占めていたのだ。
当時は既にローテ制度が定着しつつあり、中日にも星野仙一、渋谷幸春、稲葉光雄、三沢淳といった面々が名を連ねていた。その中での4割以上なので、やはり松本の異常なインターバルの短さが見て取れる。
ちなみに星野仙一が2時間未満で試合を終えたのは3度しかなく、短時間ゲームのトップ10にも名前がないところを見ると、“燃える男” の投球間隔は比較的ゆったりしていたようだ。
史上最高の時短投手は「鈴木」?
近代のプロ野球での時短投手の代表格は元巨人の上原浩治で間違いない。21世紀以降、2例しかない60分台ゲームのひとつを演出した他、上原の投げる日はとにかく試合が早く終わるので有名だった。
しかし、いまだに度々話題にのぼるところから見ても、少なくとも70年代以降のプロ野球において松本ほどのインパクトを残した投手はいそうにない。
ただし長い歴史を持つプロ野球、必ずしも松本をナンバーワンと呼ぶのは早計である。
元祖野球史家の大和球士は半世紀前のコラムで次のように書いている。
「松本と、坂井のせっかちなピッチングは南海のチョコ投げ投手と言われた宮口美吉と同じレベルであり、鈴木には及ぶべくもあらず。
鈴木がどんなに気短なピッチングをしたか……一陣の風が舞って三塁手山本が目をこすっても委細かまわず投げ、守っている場所にころがっているごく小さな石を発見した一塁手小林利が下を見て拾いあげようとしていても、投げるのを中止しないで、さっさと投げこんだ」(「続プロ野球三国志」第46回)
鈴木とは、金鯱軍の鈴木鶴雄を指す。
黎明期から職業野球を見続けてきた大和球士がこう言うのだ。プロ野球史上の時短ナンバーワンはこの鈴木と見て間違いないだろう。
大和球士はその投球について「捕手のサインを見てから投げているようには見えなかった。ふりかぶって投げる瞬間に “ちら” と見る程度であった」とも記している。
そういえば、松本幸行も以前インタビューで「サインは振りかぶりながら見る。途中でクビを振りながら振りかぶったこともあるね」(「中日スポーツ」2012.12.13日付)と語っていた。ちぎり投げの秘訣は、どうやら投球動作の流れでサインを見ることにあるようだ。
ピッチクロックは半ば強制的にインターバルを急かすルールだが、果たして導入によって今後、信じられないような時短ゲームが生まれるのだろうか。中日でいえば82分を破る大記録の誕生を期待しつつ、ピッチクロックなしで成し遂げた松本幸行の業績にあらためて敬意を表したい。