“おじいちゃんのSL”に会いに大井川鐵道へ 駅弁屋六代目ぴーちゃん3
2021年11月25日
松阪の駅弁屋「あら竹」社長のぴーちゃんは、去る11月11日、大井川鐵道に向かっていた。“おじいちゃんのSL”ことC11 312号機に会いに行くのだ。
昨年11月12日、大井川鐵道の沿線にオープンした、緑茶・農業・観光の体験型フードパーク「KADODE OOIGAWA」に同機が静態保存されている。このC11 312号機は、かつて福島県の会津若松機関区に在籍し、只見線などを走っていた。
昭和50(1975)年1月に廃車となったのだが、当時、ぴーちゃんの祖父である四代目あら竹社長の故・新竹亮太郎氏は、国鉄からの打診を受けて同機を購入していた。だから、ぴーちゃんは親しみをこめて“おじいちゃんのSL”と呼んでいる。
同機は、国道沿いにあった「ドライブインあら竹」のシンボルとして展示され、数多くの旅行客等に親しまれた。しかし、伊勢自動車道が延伸されることになり、国道沿いでは売り上げが見込めなくなることから、ドライブインの移転が決定した。
その際、大井川鉄道(現・大井川鐵道)に無償譲渡されたのだった。
※この顛末については、改めて記す予定です。
大井川鐵道に向かった日は秋晴れで、気持ちよくさわやかな日だった。昨年の KADODE OOIGAWA オープン時に、同施設内に大井川鐵道の門出駅が新設された。同駅で下車し、売店の横を進むと、C11 312が展示されているところにでる。
ぴーちゃんは、昨年のオープン時に招待されていたものの、コロナ禍のため参加を断念せざるをえなかった。そこで、一周年となるこの日に訪れたのだった。幸い、新型コロナウイルス感染者数はこの秋に急減し、ワクチン接種も進んでいるため、政府による緊急事態宣言は解除された。感染防止に気をつければ遠出も問題ない。
門出駅に着くと、KADODE OOIGAWA と大井川鐵道、それに島田市観光協会の各担当者が出迎えて、ぴーちゃんを“おじいちゃんのSL”に案内してくださる。地元マスコミも取材に駆けつけているなか、いよいよ再会だ。
保存されている様子を見た瞬間、どんな表情になるのか注視していたところ、思わず笑みが浮かんだ。…と見えたのだが、後にぴーちゃんに聞いたところ、次の様に語ってくれた。
実はね、鳥肌がたったの。
あまりにきれいに保存されていたから。
思わず
「おじいちゃん、来たよ。こうなってよかったなぁ」
とつぶやいちゃった。
この日は、ぴーちゃんと一緒に「あら竹駅弁友の会」のメンバー3名も同行していた。
KADODE OOIGAWA 一周年に合わせて“おじいちゃんのSL”に会いに行くことが決まった際、1万名の会員のなかから、ぴーちゃんは選りすぐりの3名に声をかけたのだった。
すると、そのうちの林さんから、せっかく行くなら献奏させて欲しいとの提案があったという。林さんは、慰問などでアコーディオンを弾き慣れている。それならと、同行する福田さんが駅長役、おかのんが助役となって、みんなで歌うことが決まったという。
通りすがりの方々にも一緒に歌ってもらおうと、歌詞カードを作成して多数プリントアウトしてきた。
最初に全員で“おじいちゃんのSL”に敬礼! 続いて、鉄道唱歌や高原列車など、親しみやすく誰もが知っている曲が歌われた。やがて“おじいちゃんのSL”に再度敬礼するとお開きとなった。和気藹々と楽しいひとときになった献歌だった。
4人の息が合っていたので、随分練習してきたのだろうなと思ったところ、実は新幹線の中で打ち合わせただけのぶっつけ本番だったという。とてもそうとは思えない様子には、ただただ脱帽した。
“おじいちゃんのSL”ことC11 312号機は、昭和63(1988)年3月にドライブイン松阪を離れて大井川鐵道にやってきた。当時活躍していた同型機への部品供給が、大井川鐵道が引き取った理由だったのだが、調べてみると、とても状態が良いことが分かった。
そこで、生き返らせることが決定! 昭和63年7月に動態復活を果たした。それから平成19(2007)年9月まで約19年ものあいだ、大井川鐵道でSL「かわね路号」を牽引していた。
ぴーちゃんは、元気に動いていた頃の平成16(2004)年に“大井川鐵道に来たことがある。もちろん、おじいちゃんのSL”に再会するためだ。この時が大井川鐵道初訪問だったというが、当日C11 312号機は残念ながら新金谷の工場で休んでいた。そこで、工場内で再会し、キャブ(運転席)に乗って記念写真を撮っていた。それが上の写真だ。
松阪のドライブインで見送ってから17年目の再会だったが、その日から今回の再会までもまた17年だった。偶然なのだろうが、不思議な縁を感じるぴーちゃんだった。
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