ある日突然、定番弁当が売れない! 駅弁屋六代目ぴーちゃん6
2022年5月19日
昭和34(1959)年の発売以来、定番商品として根強い人気を誇っていた「元祖 特撰 牛肉弁当」ができた経緯については、前回記しました。
後に6代目社長となる長女のぴーちゃんは、大学卒業後も東京に住み続けて自身の人生を切り開こうとしましたが、数年経てから松阪に戻り、好調な家業を手伝うことになりました。
長女とはいえ、いわば新入社員なので、当時は一ヒラ社員の身。それでも、駅弁の製造はもちろんのこと、販売促進から新製品開発まで、何でもこなしました。ぴーちゃんは当時を振り返って、次の様に語ります。
「大学に進学するときも、松阪に戻るときも、社員となってあれこれするときも、両親は止めろとはひとことも言わず、好きなようにやらせてくれました」
この自由な環境は、アイデアの宝庫のようなぴーちゃんの性格にあっていたようです。また、弟で長男が専務取締役になっていたものの、青年会議所の活動に没頭していたため、代わってぴーちゃんがあら竹駅弁のPRをしたり、知名度アップのために催事などに出かけるなど、あれこれ“仕掛け”をしていました。
さらに、テレビ取材もお父様が担当されていたのを、順次ぴーちゃんが「駅弁屋の娘」として担当するようになり、メディア登場を重ねました。まさに、ぴーちゃんの活躍に適した環境となっていたようです。
そんな、なに不自由ない環境で真面目に働いていれば、この先も安泰…と思っていた矢先、想定外のことが起きます。平成13(2001)年9月に突如起きたBSE騒動です。
BSEとは牛海綿状脳症という牛の病気の一種で、病原体に感染した牛は脳の組織がスポンジ状になり、異常行動や運動失調などを起こしたうえで死亡してしまいます。原因は、牛のえさに肉骨粉と呼ばれる牛の脳や脊髄などの組織をまぜていたなかに、BSEに感染した牛の骨が含まれていたことでした。
世界中で発生し、特に米国産で多く見られた症例ですが、松阪で育てられた牛はそのようなえさを与えられていないため、この病気は発生しません。しかし、大きく報道されたことから、牛肉は危ないとの認識が国内でも広がってしまい、「元祖 特撰 牛肉弁当」が突然売れなくなってしまったのです。
悪いときには悪いことが重なるもので、その余波は予想外のところにまで飛び火します。
毎年、秋になると連絡があった正月恒例の京王百貨店新宿店「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」事務局からの連絡がないのです。昭和40(1965)年に第1回が開催されて以来、常に冬場の駅弁大会をリードしてきたのが、この京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」です。令和4(2022)年の第57回大会でも、44都道府県の駅弁約300種類が集まって盛況でした。
その駅弁大会からの連絡がないことが気になったぴーちゃんは、ある日、事務局に電話をしてみました。すると、なんと「来年の大会では牛肉の駅弁を扱わないことになりました」との回答!新竹商店としては完全に風評被害なのですが、説明したところで、来店客は牛肉を避けるからという説明があるばかりで、いっこうに埒が明きません。
どうする、ぴーちゃん?