名鉄竹鼻線の廃線跡はいま…廃線跡探訪(11)
2020年3月5日
名鉄竹鼻線は、名古屋本線笠松駅から分岐して江吉良(えぎら)駅までの10.3キロですが、全列車が新羽島駅行で、江吉良~新羽島間1.3キロの羽島線も含めた運行をしています。
ところが、江吉良駅は昭和4年に開設された無人駅で、新羽島駅は昭和57年の開設と時期が大きく異なります。これは、羽島線が新幹線の岐阜羽島駅接続のために新設した路線だからです。
もともとは、江吉良駅から大須まで竹鼻線が6.7キロ続いていたのですが、平成13(2001)年にこの区間が廃止されました。廃線後はとくに話題に上ることもなく、その跡がどのようになっているかを知らず、ある日ふと思いついて現地を訪ねてみました。
かつて、羽島線との分岐駅だった江吉良駅で降りたのは、筆者ともう1名だけ。駅周囲にも誰一人いない閑かなところです。駅から少し進むと、すぐに廃線跡がありました。羽島線が大きく右カーブするのに対して、まっすぐに進む方向に空き地があるので、それが廃線跡ということは容易にわかります。
その廃線跡にある踏切跡から、江吉良駅を振り向いて写したのが上の写真です。廃線跡は枯れ草が茂り、周囲は柵で覆われていることが分かります。
廃線跡に沿った道を歩くと、廃線跡はさほど手つかずで残っているようです。踏切跡はそれと分かりますし、小さな用水を渡るところには橋台が残っています。
すぐに次の駅だった牧野駅跡に着きました。
ホームが残るだけでなく、駅前にあった柵もそのまま残っています。ホームは対向2面あるので、かつては列車の行き違いができた駅だったことが分かります。ただし、廃止直前には行き違いをしていなかったはずで、一方のホームだけを使用していたようです。
その対向ホームの間にある線路敷きには、何やらあります。
もう一方のホームを見てみると、線路際の積み石がゆがんでいます。ホーム上も平らではなくなっているためか、養生用のシートが被せてありました。下の写真の右側です。
こちらのホームは崩壊が進んでいる様子です。かつての線路敷きにあるのは、太陽光発電パネルでした。冬場の晴れた日でしたので、陽光を受けてしっかり発電していたものと思います。
この牧野駅跡をみたときは、廃線跡の活用方法として太陽光発電パネルを設置することに、なるほどと思いました。しかし、この先に同様なところが続いていることは予想だにしませんでした。
そんな竹鼻線の廃線跡について、次回も続けて報告します。