亀山市「遍照寺」の行快作と考えられる「阿弥陀如来像」
2024年1月9日
三重県亀山市の天台真盛宗の「遍照寺」。江戸時代の末に焼失したため、創建した時代は不明だが、所有する寺宝から亀山城下では有数の古刹である。
旧東海道から鐘楼門をくぐると急な坂で、坂の下に本堂があるため「頭で鐘撞く遍照寺」といわれたそうだ。
手前の小さなお堂には、弘法大師の石像が21体ぎっしりきちんと並べて祀られている。40年くらい前は門から続く坂の両脇に1体1体小さなお堂に祀られていた。その頃には、弘法大師のご命日の21日にはたくさんの参拝者があったという。
それが坂の修復の際に、今のお堂に移されたまとめて21体祀られるようになったのだ。
以前の本堂は江戸時代に焼失。現在の本堂は、廃城令に伴い明治6年(1873年)に「亀山藩主在国中の居館で藩政務を執る政庁でもあった旧亀山城二之丸御殿の玄関と式台」の一部を移築したもの。そのため正面の鬼瓦には亀山藩の「笹りんどう」の家紋。屋根の上にはシャチ。千鳥破風には、瓦で作った上り亀、下り亀が乗っている。
本堂には、きらびやかな雲に乗る雲上来迎図の形をとっている阿弥陀三尊が祀られている。真ん中の阿弥陀如来像。向かって右は観音菩薩。左は勢至菩薩像。
阿弥陀如来立像の両脇侍は、ひのきの寄木造 漆箔。向かって右の観音菩薩坐像は、 像高は30.8㎝。勢至菩薩立像は、像高は45.6㎝。
修理されて、黒ずんでいたお像が元の金色を取り戻した。観音菩薩像は、蓮華をささげ持ち、左膝を立てた跪坐(きざ)像。頭部内面に残る墨書銘から、鎌倉時代中期、建長4(1252)年、院派の仏師によってつくられたことがわかる。勢至菩薩立像は、合掌して立つ。胎内墨書銘に建長4(1252)年に院春と書かれていた。
阿弥陀如来像は、像高99.1cm。来迎印。ひのきの割りはぎづくり。切れ上がった目や凛々しいお顔。作風などから有名な慶派仏師の快慶の弟子の行快(ぎょうかい)作と考えられている。衣の胸の前の折り返しが、快慶の第3形式と似ている。
地蔵菩薩立像(延命地蔵)は、「来て頼め、人の願いを叶うべき かたき誓いのえんめい地蔵」と詠まれたぐらい、大変霊験あらたかな地蔵菩薩。
像高155cm.一木造り。平安後前期の像で、太もものところに平安後前期作の特徴のY字文も現れている。頭部は江戸時代に修復されている。そのせいか、お顔だけ妙にリアルに見える。
他にも中国の天台宗の開祖の天台大師 智顗(ちぎ)の像。天台真盛宗の開祖「真盛上人像」も安置されている。
たくさんの宝物があり、御朱印も凝っていて、素敵なお寺さんだ。
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「遍照寺(へんしょうじ)」
住所: 三重県亀山市西町524
電話:0595-82-0595
アクセス:JR「亀山駅」から徒歩で約10分
*仏像の拝観は、要予約。その際の拝観料は、志納。