33年ぶりにご開帳!知多市「大智院(めがね弘法)」の聖観音
2019年10月16日
知多西国第18番札所。知多四国71番札所。尾張三十三観音10番。東海三十六不動22番。
聖徳太子の開基で、本尊は秘仏の「聖観音」で、ともに秘仏のお前立は「馬頭観音」。明応7(1498)年に紹長和尚の時に、大野城と宮前城主の佐治為永の祈願所となった。
当初の山号は「楊柳山」だったが、天正年間(1573~1593年)の戦乱にも焼け残ったので、江戸時代の元禄5(1692)年に「金照山」と改めたそうだ。
弘法大師が知多に来た時、大智院に自らの像を残されたもので、めがねというより、サングラスをかけているように見える弘法大師の像。
幕末に盲目の上、眼球が飛び出ていたため、周囲の人に見られないようにその目をかくすためにロウソクの炎でいぶした色付きめがねをかけていた浅吉(あさきち)という老人がいた。安政7(1860)年に、目が治るよう、この弘法大師像にお祈りすると目が治った。
代わりに、弘法大師像の目に傷がついたので、浅吉がかけていた眼鏡をかけたことから 「身代大師」「めがね弘法」と呼ばれるようになった。
以前のめがねは、今ほど真っ黒ではなかったが、護摩でいぶされてどんどん黒くなり、今のように真っ黒になったそうだ。
境内には、使用済みのめがねやコンタクトなどを供養して納める「めがね塚」もある。10月の第4日曜日には眼病平癒や健眼長寿を願うお祭りとして「めがね弘法大祭」が行われる。
眼病予防の目薬や、ブルーベリーエキスの入った先見飴、メグスリノキ茶なども販売している。
平安初期作とされる。33年に1度のご開帳。
2019年10月17日から11月18日に、知多西国33所霊場開創250年慶讃で特別開帳される。
お堂の真ん中のお厨子の中に祀られていて、普段は扉が閉じている。聖徳太子作と伝承される。手には後補の蓮の花の蕾をもつ。ふっくらとしたお顔。細いつり上がった小さな目をされ、やや怖く見える。ウエストは左にひねり、きゅっとくびれている。
普段、扉が閉じられている本尊の「聖観音像」の厨子の前に祀られているのは、木造の小さな「馬頭観音像」で、「聖観音像」とはまったく違うお姿。
江戸時代作、石像。
本尊の聖観音菩薩像のお前立だが、なぜか聖観音菩薩像ではなく馬頭観音像。普段は、秘仏の本尊の聖観音菩薩像の向かって左側の厨子の中に祀られて、扉は閉じられ、お姿を見ることはできない。今回は、本尊とともにご開帳。
「文久3年(1863年)と亥五月十五日」と彫られ、髪の毛と、目と口など部分的に彩色されている。
本尊に向かって右側に祀られている。
明王という名だが、菩薩のように優しいお顔をされている。別名「大随求菩薩」。「求めに随(したが)って」自在に願いに応じるということで、どんな願いも叶えてくれるという。
他にもいろんな仏像がある。厨子に入っている地蔵菩薩。本尊の聖観音像と少しお顔が似ている。
お堂の改修工事前は開けたことのないお厨子に入っていた本尊とは別の小ぶりな「聖観音像」。左手先と両足先が失われている。
鶏を抱えている珍しい像。
右手に宝塔を掲げている毘沙門天像。若々しいお顔。足元の邪鬼は正面を向き大人しくしてる様子。
個性的な仏像がいろいろあり、様々なご利益が得られそうなお寺さんだ。
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「大智院(だいちいん)」(めがね弘法)
住所:愛知県知多市南粕谷本町1丁目196
電話: 0569-42-0909
アクセス:名鉄常滑線「大野町駅」から徒歩約20分
名鉄常滑線「新舞子駅」からあいあいバス南部コースに乗車(本数少ない)し「南粕谷本町」停を下車、徒歩約3分。
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