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伊藤博康のテツな“ひろやす”の鉄道小咄

“新生”名鉄瀬戸線の「顔」6600系が引退

2013年3月5日

名鉄瀬戸線で3月3日に「ありがとう6600系」が走りました。同車は1978(昭和53)年に登場した瀬戸線専用の電車で、当時、“新生”瀬戸線の顔となった車両でした。

“新生”ってどういうこと?「顔」とは、どういう意味?

この辺りについて、これから記します。

引退した6600系(右)と、今後を担う4000系(左)


名鉄瀬戸線は、名古屋の中心地である栄にある栄町駅と尾張瀬戸駅を結んでいます。他の名鉄線とは完全に独立した路線で、異色の存在といえましょう。

でも、栄に乗り入れたのは1978(昭和53)年と比較的新しいことです。いまから35年前で、それ以前は、土居下から東大手にかけて名古屋城の外堀に入り、そのまま外堀を堀川まで走る路線でした。これは、瀬戸名産の陶器を運んで、堀川の水運につなげる目的だったといわれています。この珍しい“お堀を走る電車”については、いずれまたの機会に記したいと思っています。

さて、栄町乗り入れ前の瀬戸線は、直流600Vでの電化でした。名鉄でも本線系統は直流1500Vですから、その半分以下の電圧だったわけです。名鉄線で直流600Vというと、2005(平成17)年に廃止となった岐阜市内線・揖斐谷汲線・美濃町線がこの電圧を使用していました。つまり、路面電車に使われる電圧です。

大形な郊外電車を高速で走らせようとすると、600Vでは力不足です。そこで、1978(昭和53年)8月の栄乗り入れを前に、同年3月に600Vから1500Vへの昇圧を行いました。この昇圧に合わせて登場したのが6600系です。

瀬戸線としては42年ぶりの新造車、それも名古屋の中心地である栄に乗り入れるための車両です。つまり、瀬戸線における6600系は、その存在自体が栄乗り入れという“新生”瀬戸線の「顔」だったわけです。

ちなみに、昇圧当時、6600系以外に瀬戸線で走っていたのは、本線から引っ越してきた車両たちでした。その後に6750系が増備されますが、これは本線で役割を終えた車両の機器を使い、車体だけ新造したものでした。さらに後年には今も走る6000系が本線系から転属してきます。6600系だけが、瀬戸線では生え抜きの存在だったわけです。

2両連結2本の4両編成で走る6600系


さて、6600系の特徴をもう少し記しましょう。

いまの瀬戸線は4両編成で走っています。それにも関わらず、6600系は2両編成を2本連結した4両編成で走っています。これは、以前の喜多山車庫が2両用にできた狭い土地にあったためです。ですから、原則として入場時以外は2両で走ることはありませんでした。いまは車庫が4両対応の尾張旭検車区となっていますので、6000系以降に入線する車両は4両固定編成です。

もう一点、6600系の客室窓が上下2段となっている点について。これは登場当時に冷房装置を積んでいなかったため、夏場に窓を開けられるようにしていた名残です。このように、“新生”瀬戸線の「顔」でありながらも、瀬戸線の過渡期の一面ももっていた車両でした。

ところで、2008(平成20)年には4000系という瀬戸線用の新製車が登場しました。6600系登場と栄乗り入れから30年となる節目の年でした。その頼もしい後輩が増備されたことで、いよいよ6600系は引退することになった次第です。

ありがとう、そしてお疲れ様でした6600系。

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